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 平戸地方のかくれキリシタン

1、組織の形態
○白石・春日・・・講(現在は崩壊)
○獅子・・・・・・組(現在は崩壊)昔は160戸の家16の組。
   爺さん役・・死者送りの役。
   水の役・・・お水授け(洗礼)。
   マジナイ役。
○根獅子・・・触(四触・松山・中番・美野・崎)四、五軒で慈悲仲間を組織。
   辻方・・・根獅子辻家が最高指導者。
   水の役・・四触に七名。
   触役・・・各触に一名。
○生月
   爺さま役・・お水かけ(洗礼)を任務。最高指導者。
   上方には一部在二人、堺目一人、元触三人。
   下方には山田、正和、日草に一人づつ。
   御番役・・・爺さま役の下に一~三人。納戸神の番役
   (宿元・つもと)
   コンパンヤ・・御番役の下に一~七あり。
   御(み)弟子を頭に数戸の家族から成る小集団。

2、納戸神とお姿
かくれキリシタンの信仰形態にはマリア観音信仰と納戸神信仰ご有名で五嶋・外海地方ではマリア観音、平戸・生月地方では納戸神がある。
 マリア観音は観音像もしくは慈母観音像をマリアに見立てて信仰する。 納戸神は人目に付かない納戸に、お掛絵といわれる軸物やメダイ、浮世絵、人物画などをキリスト、マリアとして信仰するものである。

3、オラショ

○生月
   生月ではオラショのことを「ご経文」
「ごしょう(御誦)」(うたオラショを言う)
「ご恩礼」という。
○根獅子
 根獅子では「おつとめ」「お仕事」という。
 オラショは祈りの意味のポルトガル語で、布教時代にはたくさんの出版物が発行された。生月では張番を立てて警戒しながら声を出して共誦したと言う。
 根獅子では男子が三十才ほどになってからオラショをならうが、戸主だけで女は習わない。

4、クルスのしるし

 クルスつまり十字架はキリシタンのしるしである。これらは2種類の使い分けを行っている。先ずは右の親指を額、口、胸に当てながらクルスの文を唱える方法である。
 これは額に唱える時は悪念、妄想を除く時に、口に取る時は悪口を、胸に取る時は心より出る悪しき所作を除くためにクルスを唱えるという。次いで右手を額から胸まで、左肩から右肩までを動かすクルスである。これはキリストを思い起こすために行う。これらは地域や組織によって多少変化する。
 生月の場合はまず親指で額と口と胸に三本の横木と額から胸までの一本の縦木持つクルスと、額から胸までの一本の縦木と左肩から右肩までの一本の横木を持つクルスである。

5、お水

お水とは聖水のことである。生月では中江の島の「お水」、根獅子ではもと教会が有ったと言われる「おろくにんさまの井戸」の水である。これらの「お水」は儀式のときによく使われる。

6、船魂入れ
 生月では新船を建造すると必ず中江の島にお参りして災難が無いように祈る。
 船魂入れは爺役がお水授けのオラショをしながら「お水」を打つ。

7、おまぶり
 平戸・生月系にだけあるもので、生ずきの白紙を四方5、6センチの十字に切り抜いたも ので、今は障子紙で代用している。
 切る日は所によって違うが、それぞれ爺役が身を清めてからお水を打ち清める。正月や三月の節句に家族に配るほか、死者や牛に持たせたり食べさせたりする。

8、死者の埋葬と回向
 潜伏時代は幕府や藩の役人の目が厳しく、寺請けの制度などもあって、勝手に死者を埋葬することは出来なかった。そこで仏式の葬儀、埋葬の後、信者による再度の埋葬儀式がとられるのである。五嶋や外海地方では「送り」(臨終の人の耳
 元でオラショをとなえる)を行う。または 坊さんのお経の後 「お経消しのオラショ」を唱えたりする。生月・根獅子の場合は爺役が「もどし」といって霊魂を神のもと、パライソ(天国)にもどすオラショを唱える。
 埋葬は根獅子の場合「ニコバ」と呼ばれる聖地に死者の顔が向くように埋葬される。

9、復活しない訳

復活とは明治四年信教の自由が認められて、今までの禁制下密かに信仰を守ってきた信徒が、再びローマカトリック教会の組織下に入ることを言う。「かくれキリシタン」とは、以前の禁制下同様に伝来の信仰形態を守り、復活をしないのでこう呼ばれる。
 ではなぜか復活しないのか。
1、先祖の伝統形態を守り続けることが正しいとする考え方。
2、仏教、神道を隠れ蓑として来たが、いつのまにかその域を超えて精神と生活に定着し、神を祀るのに矛盾を感じ無くなり、カトリックへ復活することにより、神仏や先祖の位牌を捨てるこになるので隠れ続ける。
3、先祖から受け継いだ習慣を放棄すると、罰を受けるという恐れ。

10、現況

現在生月、根獅子に組織が存在し、「かくれキリシタンの里」として全国に知られるが、その伝承はもはや風前の灯し火といった感がある。
 それは永年の潜伏による信仰の変態と忘却、それに最も深刻なものは後継者の不在である。実際根獅子の大正時代には飯良(根獅子の隣部落)、昭和になって獅子部落の組織が崩壊している。そして平成5年現在、根獅子の組織も崩壊したと伝えられた。もう伝承は行わないそうである。
 このように1550年ザビエルの布教と共に根をおろしたキリシタンの組織も生月だけとなってしまった。しかし生月島でさえも後継者不足に組織崩壊の危機に直面しているのも事実である。

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