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 生月学講座No.178 「キリスト教徒」とは何か

生月学講座:「キリスト教徒」とは何か

3月の「生月学講座」で、私(中園)の『かくれキリシタンの起源』(弦書房)が刊行される事を紹介しましたが、おかげさまで多くの新聞から特集や書評を組んでいただきました。特に宮崎賢太郎先生の『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(KADOKAWA)が少し先行して刊行された事もあり、一緒に紹介される場合も多くありました。
 そのうち朝日新聞の特集記事(4/1)では、宮崎説の変容説と私の並存説が要素によってそれぞれ対応する部分があるように紹介されていました。一方、読売新聞の加藤徹先生の書評(4/8)や西日本新聞の特集記事(5/2)では両説を対峙的に紹介し、特に加藤先生の両説の紹介は当を得た要約だと感じました。しかし記者の方による紹介文からは、両説の要点を捉えるのに苦慮されている印象を受けました。
 両説の違いの要は「かくれキリシタンをどのように捉えるのか」という事にあるのですが、その核には「かくれキリシタン信者はキリスト教徒か」という問いが存在します。宮崎先生は、最初に出された『カクレキリシタンの信仰世界』(1997)においては、かくれキリシタン信仰を外側は西洋の皮だが中身は餡の饅頭に例え、禁教時代に起こった変容の所産とされましたが、その後、変容はキリシタン時代から起きていて、キリシタン信者の殆どはキリスト教徒では無かったと主張されるようになります。その場合の「キリスト教徒」の定義ですが、「一神教たるキリスト教の教えを正しく理解し、唯一絶対なる神の存在を信じ、聖書の教えに従って生きる」(『潜伏・』40頁)者だとしています。宮崎先生自身もそのような信者は稀な存在であるという事を認めて居られますが、私も、現在という時点に立つ教義に精通した人(宮崎先生のような)の視点に拠った、極めて狭小で厳しい定義付けではないかと思います。
 時代を16世紀に、立ち位置を一般民衆に移して眺めた時、日本にせよ西洋にせよ圧倒的多数のキリスト教徒は、教会で専業宗教者である神父が形を定め、提示された祈りを唱えて行事に参加するのと同時に、生業や暮らしの中で必要な儀礼に関与していく生活を営むのが普通の姿でした。その上で信者達は自分をキリスト教徒だと信じて疑わず、神父も彼らをキリスト教徒として書簡に記しています。彼らが教えを深く理解しようにも、そもそも教えの理解自体は神父の専任事項であり、聖書からして神父しか持てないものでした。つまり大多数の信者が前掲した信者の定義を外れていたのも、別に信者の不信心によるものでなく、当時のカトリック教のシステムによってそうならしめられていた訳です。そしてその信仰の形を、禁教という状況に立ち至った日本の信者の一部が、強い信仰心ゆえに、仏教や神道への帰依を忍びながら、宣教師不在の状況のなかそのままの形で続けていったものが「かくれキリシタン信仰」であると私は考えています。つまり、かくれキリシタン信者が関与する信仰要素のうち、並存する仏教や神道の要素を除いた、かくれキリシタン信仰のみの要素については、16~17世紀初頭の日本におけるカトリック教(=キリシタン信仰)の信者レベルの形態を、ほぼそのまま凍結保存したものだと捉えているのです。
キリスト教(教徒)と言えば、近現代の日本人は、理想化した西洋の教会のイメージに引っ張られがちです。しかしかくれキリシタンの本質を理解するためには、16世紀のキリスト教や日本、一般民衆という視点から眺める必要があるのです。(2018.5)