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 生月学講座 No.157「禁教末期の弾圧とその影響」

今年(平成28年)2月のイコモスの中間報告の対応でいったん推薦取り消しとなっていた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」ですが、7月25日に開かれた国の文化審議会において、推薦候補に再選定される事となりました。今後、指摘された禁教時代の様相を核とした内容の推薦書を纏めてユネスコに提出し、現地調査を経て、早ければ平成30年夏の世界遺産委員会で登録が決まる事になります。ただ現状を見ると、価値付けの転換が上手く行っているとは思えない所もあります。例えば構成資産については、従来、禁教時代の資産と位置づけられてきたもののみを残し、前後のキリシタン時代、復活時代に位置付けた2資産を切り捨てる事で、イコモスの意見に応じる形を整えました。しかし禁教時代の様相を理解するためには、禁教以前のキリシタン信仰とそれを取り巻く情勢についての理解が不可欠です(これに関連するキリシタンの他宗排斥の問題については既に同講座で触れた通りです)。また一方で、禁教という状況によって生じた影響は、禁教解除後から今日にまで及んでいる部分もあり、こうした部分についても世界遺産の価値の一部として捉えておく必要があるのではないかとも思えます。
再選定後の構成資産で、時代的に最後の資産となるのは、元治2年(1865)にプチジャン神父と浦上の信者との会合(信徒発見)の場所となった大浦天主堂ですが、先日、訪ねてきた民俗学研究室の後輩・大野君と世界遺産について意見交換をした時に、彼が「今日に繋がる点で重要なのは、信徒発見から明治6年の禁教解除に至る時期ではないか」とコメントした点は、頷けるところでした。例えばその期間に浦上では多くの信者が教会で洗礼を受け、最終的には寺での葬儀を拒否するようになります。しかしそれは、単なる個人による宗教の選択の問題ではなく、幕府が定めた制度の否定に他ならなかったため、慶応3年(1867)にはそうした信者が逮捕される事態(浦上四番崩れ)となり、さらに明治元年(1868)には禁教政策を継承した明治政府によって大勢の信者が各地に配流される事になります。同時期、五島でも同様の弾圧(五島崩れ)が起きています。
 生月島でも明治初年(1868)頃からカトリックの再布教が行われ、明治11~2年頃(1878~9)には山田から派遣された米倉傳作、西村藤之助が、長崎の状況を確認し、自らもカトリック信者となって帰還しています。但し生月島では、先祖を祀る仏壇の処遇などの理由で、従来の信仰並存の形を取るかくれキリシタン信仰を継承する信者が結果として大部分を占める事になりますが、『生月のキリシタン』によると、再布教に際し、僧侶や神官を含めた反対派が破邪演説会を開いたり、カトリック信者の暮らしが立たなくなるような内容の十四ケ条の制定を謀っています。
 このように、禁教末期の信徒復活から禁教撤廃までの間に起きた、再布教の動きとそれに対する弾圧や反対運動は、カトリック信者とそれ以外の住民の双方に深い傷を残す事となり、その影響は今もなお完全に消え去っている訳ではありません。各地のカトリックの教会堂が、当時先端の建築技術(煉瓦、コンクリート)を用いて、殊更に立派な洋風建築物として作られていった事も、そうした状況を踏まえて考える必要があるのです。2016.8