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 生月学講座No.177 「信仰 「併存」理解」

生月学講座:信仰「並存」の理解

かくれキリシタン信者の信仰構造の要点は、複数の宗教・信仰の「並存」にありますが、今回はこの点について少し掘り下げて考えてみたいと思います。
日本を含むアジア地域における信仰の原初形態は、複数の信仰対象(神)の存在が認識されるものの、総体としてそれらを統括する体系を持たない形だったと思われます。日本列島には6世紀になってインド起源の多神教の宗教・仏教が伝来しますが、仏教という宗教の体系が意識される事によって、初めて在来の多神のあり方を「神道」という枠組みによって捉えるべく、多神を体系的に捉えるための神話「古事記」「日本書紀」が編纂されます。これによって日本の地域、家、個人においては、仏教・神道という宗教が「並存」する形態となります。
 しかし神道による神の体系化も、仏教の秩序だった仏の位階のあり方に比べると曖昧さは拭えませんでした。そのため中世になると、仏教の仏と神道の神との間に関連性を持たせる事で、神をより体系的に捉えようとする「神仏習合」という解釈がなされるようになります。
 中近東からヨーロッパ地域にかけても、原初においてはアジア地域と同じ多神の存在が認識された地域でした。その中で古代のエジプトやギリシア世界では、それぞれの神話の括りの中で神々を体系的に捉える多神教の形態に進んでいます。一方、中東地域では、部族がおのおの神を有する形態となりますが、この段階では、他の部族は別の神を持つことを認めた「拝一神教」の形態でした。しかしその中でユダヤ民族は、山我哲雄氏によると、紀元前6世紀末頃から始まったバビロンへの強制移住を期に、自らの信じる一神(ヤハウエ)こそが世界の唯一の神だとする唯一神教の形態を取るようになります。紀元1世紀以降ユダヤ教から派生・成立したキリスト教は、民族を限定しない宗教となるなかで、唯一神教の性格を継承しますが、唯一神以外にも聖性を有した多数の存在(天使、聖母マリア、聖人)も加わる事で、より多神教に近い信仰体系を備えるようになりました。
 キリスト教(カトリック)が伝来した当時の中世末期の日本では、仏教と神道が漠然と並存し、仏教が主導的な形での神仏習合が進む一方で、仏教内でも様々な宗派が生じ、家や個人では特定の仏教宗派と結びつくような状態でした。そこに登場したキリスト教という唯一神教の存在とその他宗排斥の傾向は、仏教や神道に強いインパクトや危機感を与えます。一方でそうしたキリスト教のあり方が、仏教などに改めて宗派確立の必要を迫る事にもなります。江戸時代に入ると、他宗排斥が生起する宗教秩序の混乱が問題視され、キリスト教は禁教となりますが、禁教政策の一環として寺檀制度や寺院の本末関係が整備され、神道でも集落氏神の導入や吉田家を通しての社家の統制などが行われた事で、仏教諸宗派や神道の宗派化が進みます。これによって地域、家、個人において、仏教諸派と氏神を軸とした神道による、今日まで続く並存関係が確立する事になります。
 かくれキリシタン信者の場合は、(宣教師の指導のもと、当時のヨーロッパのカトリック信仰とともに、仏教などの影響も受けながら、日本人の精神性・生活・生業に対応させた形態が作られた)キリシタン信仰を存続させるために、この並存関係を受容し、それにキリシタン信仰を加えた形において継承される事になったのです。 (2018.4)