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 生月学講座 No.125「益冨家の御成門(おなりもん)」

 壱部浦にある益冨家は、平成20年に「鯨組主益冨家居宅跡」として県の史跡に指定されましたが、御当主のご努力で、指定前から雨漏り等で傷んだ建物の修繕が続けられてきました。今年度(25年度)は県や市の補助を受け御成門の修繕がおこなわれています。

 御成門とは、貴人を迎えるための特別な門で、例えば江戸の大名屋敷の場合は、将軍が屋敷を公式訪問することになると、将軍を迎えるため豪華な御成門を特別に作っていて、訪問の度に新しい門を作る事もありました。益冨家の御成門の場合は、平戸藩主(松浦公)を迎えるためのもので、邸内での接遇施設である座敷とセットで江戸時代の中頃に作られたと考えられます。ただ御成門は、たんに平戸藩主を迎えるという実際的な機能のみに留まらず、その家が藩主が来訪する程の格式と威勢を持っているという事を示すシンボルでもありました。その事は天保3年(1832)に制作された捕鯨図説「勇魚取絵詞」での益冨家の描かれ方にも現れています。「生月一部浦益冨居宅組出図」に描かれた益冨家の建物群のうち、一番目立つのが御成門とその左側に連なる座敷で、特に御成門は、門扉や側面の柱まで丹念に描き込まれています。ところが、実際には最も大きな建物で、機能的にも益冨組の中枢(社屋)である筈の母屋は、建物群の左隅に、周囲に建つ倉とさほど変わらない程度の大きさで描かれているに過ぎません。実は私自身も、それより大きく描かれた、庭に面した他の建物を母屋だと勘違いしていたのですが、よく見ると、よく目立つ切妻の黒板壁や下屋(一階周囲の屋根)などの特徴や、建物の方向が一致することから、母屋だと分かったのです(但し現在の母屋は幕末に建て替えられています)。

 益冨家の御成門は、正面一間、側面一間の薬医門(やくいもん、後方に控柱を立て棟木をずらした形式)で、屋根は切妻造、本瓦葺、一軒垂木で、梁を主柱上部の肘木で支える意匠で梁・肘木、束などの彫物が特徴です。修繕前の御成門は、主柱が割れて全体が傾いたため、門も開かず、このまま放っておくと倒壊の危険もあるという深刻な状態でした。老朽化が進んだ原因は、道側が高くなって門の下部に雨水が流れ込んだことで、柱が腐食したためだと思われます。そのため、門を全解体して壊れた部材を取り替えるとともに、門の土台を高くして雨水が侵入しないようにする事となりました。

 ところが、その土台の工事の際に想定外のものが出てきたのです。従来有ったコンクリートの基礎面を壊して除去すると、下から赤い漆喰混じりの見事なタタキの面と、四角形の踏石、元の柱の土台石、脇の土留め石などが、良好な状態で出てきたのです。工事に当たっておられる村上さんから連絡を受けて駆けつけたのですが、本当にびっくりしました。柱状の土留め石は、しっかり固定できるように断面を逆L字形に加工する念の入れようでした。県や専門の先生方と協議した結果、この遺構はそのまま埋設保存し、その上に遺構の形状を再現した基礎面を作ることになりました。かつて殿様が踏みしめた御成門の様子が、今回の発見によって再現できることになったのです。2013.12