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 生月学講座 No.104「オテンペンシャ」

 オテンペンシャは、生月島のかくれキリシタンが行事の際に使う道具で、それ自体も御神体とされています。形状は、麻の細縄を束ね、一方の根本を括って握り手を作ったもので、縄の先端には一文銭などを削って作った十字型の金属片を付けています。オテンペンシャの制作は、春の「悲しみの入り」から「上がり」前の46日間(カトリックの四旬節にあたる)に1日1本ずつ縄を撚り、計46本を束ねて作るとされています。例えば壱部集落で正月に行われていた、津元の御前様が信者の家を巡回する「ごじんきん」行事では、御前様が家内に入る前に、一人の信者が家内を回りながらミジリメンというオラショを唱えつつオテンペンシャを振り、もう一人の信者が同じくお水瓶を持ってお水を打ち、家内を清めます。また「戻し」という葬送に先立ち行われる「風離し」行事では、遺体に憑いた悪いカゼを追い出すため、一人の信者がミジリメンを唱えながらオテンペンシャを振って祓い、もう一人の信者が同じくお水瓶からお水を打って遺体を清めます。

 オテンペンシャの語源は、ポルトガル語のPenitencia(改悛)と考えられます。16世紀後半のキリシタン信仰では、ヂシピリナと呼ばれる改悛のための鞭打ち苦行が盛んに行われていました。あるポルトガル人は1564年付の書簡で、度島で見た鞭打ち苦行の情景を次のように報告しています。「司祭が金曜日に連祷を唱える時、彼らは一人の異教徒もいない度島の教会に入り、司祭がミゼレレ・メイ・デウスを唱え始めると、直ちに暗がりで彼らの衣服である着物を脱いで、父も子も、大なる者も小なる者も鞭を取り、連祷を唱える間、己れを打つからである」。こうした鞭打ち苦行は、ヨーロッパのカトリック信者が中世に組織的に行っていたものが、日本への布教に際して導入されたと考えられます。ちなみに先の度島の報告にある、鞭打ち苦行の際に唱えられた祈り「ミゼレレ・メイ・デウス(主よ憐れみたまえ)」は、今日、生月島のかくれキリシタンが、オテンペンシャを用いる際に唱えるミジリメンという祈りと同じです。

但し、キリシタン信仰の鞭の用途は苦行だけはなかったようで、1562年10月25日付アルメイダ修道士書簡には、鹿児島の信者が語った鞭の効用が記されています。「かの老人が来て、メストレ・フランシスコ(ザビエル)師の所有になるもので司祭が彼に贈った苦行用の鞭を私に見せて語ったところによれば、前述の奥方がひどく病んだ時、いつものように苦行をするためその鞭を請うたが、それというのも、老人が週のうちの一日、キリシタン全員を集めて彼らに(その鞭で)各自の体を三回ずつ打たせ、もしさらに多くを望む者があっても、鞭が壊れるのを恐れて許さなかったが、これにより彼らが甚だ健やかになったからであり、従って奥方は最後の手立てとして苦行を行なうため鞭を求めたのであったが、我らの主なるデウスは(ザビエル)師の功徳により、彼女がたちまち健康になることを嘉し給うたとのことである」。このように鞭は病気直しの呪具として用いられていますが、これは先の「風離し」におけるオテンペンシャの用途とも重なります。

 なおキリシタン信仰で用いられた鞭の伝世品の多くは、一本の縄の先端が数本に分かれた形のものですが、『吉利支丹法服諸器物目録略図』によると、水戸藩徳川圀順家収納品の中には生月島のオテンペンシャのように、多数の縄を束ねた形の鞭も存在しています。