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 生月学講座No.172 「キリシタンの死後供養1 オトブライ」

生月学講座:キリシタンの死後供養1 オトブライ

 死後供養と言うと仏教の作法のようですが、キリスト教においても死者に対する行事は行われています。11月1日は、カトリックにおいて全ての聖人と殉教者を記念する「諸聖人の記念日」とされ(その前夜祭が「ハロウィン」です)、翌2日は、全ての死者のために祈りを捧げる「死者の日」とされています。例えばメキシコのオアハカでは、11月1.2日の両日を「死者の日」とし、家の中に死者を迎えるオフレンダと呼ぶ祭壇を飾り、墓も飾りたて、人々は仮装して夜遅くまで賑やかに過ごします。
 またカトリックでは、「死者の日」がある11月を死者のために祈る「死者の月」とし、生月島では家毎に、教会で亡くなった親などのためのミサが行われますが、キリシタン時代のキリシタン信仰でも同様の期間があったようで、『日本史』には次のような記述があります。
「ところで日本人は葬儀を非常に重視するので、司祭は彼らが来世のことをさらに尊重するようにと、毎年11月中を通じて死者のためにミサを捧げるのが常であった。赦祷のためにいつも教会の中央に棺(台)が(置かれ)、その側には4本の大きい蝋燭が立てられたが、これは人々を大いに満足させた。そしてこの時期には四終(死、審判、天国、地獄)について説教がなされた」(『日本史』1.14)。
 生月島壱部のかくれ信仰では、「御誕生(クリスマス)」の8週前の日曜日を津元の「御弔い(オトブライ)」という主要な行事の日としています。またその前日は「パッサリ言わせん日」といい、死者がパライゾに行けるように帳面にアニマの名前を付ける日とされ、大きな音を立てる仕事などが忌避されました。このように「パッサリ言わせん日」や「御弔い」は死者に関わる要素を持つ事から、諸聖人の記念日や死者の日に起源を持つ行事が継承されたと考えられます。
 さらに生月島壱部のかくれ信仰では、津元の「御弔い」の日(日曜)と、その八週前の日曜の「ジビリア様」との間の期間、信者の各家で、家の先祖(死者)のためにゴショウ(オラショ)を上げる行事を行いますが、この期間がカトリックやキリシタン信仰における死者の月に相当すると思われます。『日本史』の記述では教会でミサや説教を行う形ですが、メキシコのオアハカのように「死者の日」の行事を家や墓で行なっている例もあり、家での行事も同時に行なわれた可能性があります。なおオアハカの「死者の日」で様々な食べ物を供えて賑やかに過ごすように、壱部の家の御弔いも「ボブラ振舞い」といって、御馳走を用意し親戚を呼んで宴会を行ないました。ボブラとは南瓜の事で、秋に収穫する作物や魚を料理として振る舞ったのです。
日本における死者に対する供養という意識や行為は、中世に仏教の関係で普及したものですが(但し当初の原始仏教には供養の概念はありませんでした)、先の『日本史』の記述にあるように、戦国期の日本人には死者(来世)を尊重する意識があったがために、日本布教にあたったイエズス会の宣教師も、「御弔い」という死者を供養する行事を設定して、キリシタン信仰への支持を高めようとした事が考えられるのです。  (2017.11)