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 生月学講座No.171 「キリスト教受容と外国文化の称揚度」

生月学講座:キリスト教受容と外国文化の称揚度

 かくれキリシタン信仰というものとその成立過程を理解するためには、戦国~江戸初期と幕末以降の2つの時代のキリスト教のあり方とともに、日本人における外の文化の捉え方について理解する必要があるのではないかと思うところがあります。
 日本における宗教を含めた文化においては古墳時代以降、国内、海外の二つの極が存在してきました。縄文文化は居住地周辺の文化で、弥生文化では海外(朝鮮、中国)が文化極だったのですが、日本国家の成立とともに二極への志向が並存する事になります。但し古代の朝廷は国内文化の管掌と共に、外交・貿易を統制する事で海外文化も掌握し、文化の中核に位置・掌握する事で権威付けを図っています。平安初期に遣唐使が廃止され、貿易・交流が中国人海商の手に委ねられるようになると、中国と大洋路で繋がる博多を窓口に海外(中国)文化への志向が国内に広がる事になり、宗教文化である仏教も広く普及するとともに、留学や典籍の輸入によって知識や様式が更新されていきます。
 16世紀中頃、ポルトガル勢力の進出によって、海外文化に新たにヨーロッパという極が登場し、多志向化します。当時(戦国時代)は国家(朝廷、室町幕府)の統制が弱まり戦国大名による分権が進んだ時代で、中央の極は弱化しているものの国内文化志向は健在で、海外文化の優位が認識される訳でもなく、中国とヨーロッパの文化の間にも優位差はありませんでした。当時のヨーロッパ文化は、大砲や火縄銃が圧倒的な威力を発揮したにも関わらず、日本人一般に優位文化と認識される迄には至りませんでした。そのためイエズス会を始めとするカトリック教団は、ヨーロッパの信仰形態を直植えする事が出来ず、日本文化の研究を進めて日本人の精神性や生活様式の理解を深めながら、(当時の)日本人にフィットしたキリスト教のあり方を構築する必要に迫られたのです。
 日本の再統一を果たした江戸幕府は、海外との交流を制限し、国家の統制下におく政策(鎖国)を進めますが、それにより海外文化の流入は規制・制限され、相対的に国内文化への求心性が増しています。そうしたなか宗教や学問も幕府の統制・管理化に置かれ、他宗排斥の傾向を持ったキリスト教は宗教秩序を乱す存在として禁止されます。
幕末期、西洋諸国との交流が再開されると、日本は、遡る1世紀の間に機械技術で産業革命を成し遂げ、経済や政治などの社会システムでも合理性を増した西洋の文化と接する事になります。倒幕を果たした明治政府は、西洋の科学技術や社会制度の摂取を図り、日本を西洋諸国と同じ国民国家に移行させようとしますが、当初、国民等質化の文化基盤に神道を据えようとします。そのため再布教でかくれキリシタン信仰からカトリック信仰に移行した浦上や五島の信者は、異質な存在として転宗・弾圧を被ることになります。神道化政策が西洋諸国の圧力により後退した明治中後~大正期には、日本文化と、それを越える優位性を持つ西洋文化という二極が存在する事になります。再布教後のカトリック信仰に在地性が希薄で、信者が煉瓦造りのゴシック風教会に固執する状況もこの反映と捉えられますが、昭和に入って戦争に向かう時代になると、国策により日本文化への求心性が高まる事になります。第二次大戦の敗北によって日本文化への志向は後退し、西洋文化への志向がより高まった状態となりますが、こんにちも「内」(日本)でのポジションを「外」(西洋)との関係により超克・逆転しようとする志向は様々な分野で見られるのです。  2017.10