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 生月学講座 No.088「生月島の鯨食文化」

 すでに述べたように、生月島を漁場とする捕鯨は百年前に終了しており、その後は、平戸瀬戸の銃殺捕鯨の漁獲や、定置網に時折かかる鯨の流通が若干あったと思われます。なお銃殺捕鯨の従事者は、鯨が取れると歩合で鯨肉を貰えたので、生月島にいる親戚や知人も、それを分けて貰っていました。しかし近代捕鯨業の発展に伴い、よそからの鯨肉も入ってくるようになり、その量は次第に多くなっていったと考えられます。

 生月島内には昭和20年代頃、鯨肉を売る店が何軒かあり、冷凍鯨や塩鯨を売っていました。また、テボに鯨肉を入れ天秤棒でかついでイナカを回る婦人も居て、お得意さんの家を売って回っていました。顔馴染みの家だと、留守の場合でも勝手口から入って鯨肉を置いていくこともあり、家人が「今日は要らないのに」と思いながら買う事もあったそうです。

 鯨肉は、昔から生月島の行事の際には、欠かすことができないものでした。例えばかくれキリシタンの行事では、参加者一同がオラショを唱えた後、必ずお酒をいただきますが、その時の肴(セシ)に、昔はよくユガキモン(湯がき皮鯨)や冷凍の赤身鯨が使われていました。刺身にする生魚は、高かったり、季節によって手に入りにくい事もありますが、鯨は安い上に保存がきいたので、赤身の角切や塩蔵の皮身を買って用いられました。

 行事によっては、酒肴に引き続いてご飯と汁が出ますが、その際には刺身を盛っていた小皿に膾を盛って、届けの祈りを行います。そしてその膾にも、大抵鯨皮を薄く細長く切ったものが入っていました。この膾を小皿に盛る際には、祝い事の時は2カ所、不幸事・供養の時は1カ所に盛るというしきたりがありました。また堺目かくれの正月行事「御名代」では、御神体を持った者が家々を祓って回りますが、その時各家の接待で出される肴にも、よくゆがき鯨や鯨の百尋、マメワタなどが出されます。

 かくれキリシタン以外の行事でも、鯨料理は欠かせませんでした。元触では昔、祝儀(結婚式)を自宅で行っていましたが、その時には近隣の若衆達が、祝儀が行われている家のホカ(前庭)に来て、お嫁さんの事を誉めたりしました。そしてその時にはタリツリ(樽吊り)といって、座敷から、酒や、肴を盛ったシンカンザラ(大皿)を棒に吊って、若衆に渡してやっていました。また元触ではヤタテ(家建て)の祝いの時にも、必ず鯨料理を出しましたが、これは「幸いが大きくなるように」という縁起担ぎだそうです。

 壱部の氏神・白山神社でも、年末に開かれる氏子総代会では、昔から必ず鯨の煎焼が出されました。白山神社は鯨組主・益冨家の氏神であり、社殿も益冨家から寄進されています。壱部浦の住民も過去、捕鯨に従事していた事を含めて考えると、煎焼についても、何らかの謂われやしきたりがあるのかも知れません。

 また昔は、大晦日の晩に大きなものを食べると良いと言われ、鯨のイリヤキをよく食べたそうです。また現在でも、正月のおせち料理の中に、百尋やマメワタ(のゆがきもの)を入れる家が結構あります。鯨は今や高級品ですが「せめて正月くらいは」と、鯨料理を入れている家が多いようです。