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 生月学講座No.194「捕鯨史理解の再構築」

生月学講座:捕鯨史理解の再構築

私は佐賀県の呼子町教委(現唐津市)で5年間勤務した後、生月町(現平戸市)で博物館の学芸員として採用されたのですが、呼子も生月島同様、捕鯨との関わりが深く、呼子在職時から捕鯨史の調査・研究を行っていたのも、採用理由の一つでした。
着任後は島の館の展示の中で、捕鯨の展示をどのように組み立てるのかという課題にも取り組みましたが、その際には大きく二つのテーマを設定しました。一つは、益冨組が江戸時代に行っていた捕鯨を模型や図、資料を用いて分かりやすく紹介する事ですが、もう一つは、日本の捕鯨史の中で、生月島を含む平戸地域の捕鯨がどのような位置を占めているのかを説明する事でした。この二番目のテーマのためには日本の捕鯨史全体の理解が必要ですが、当時その分野でよく参考にされた本は、経済学者で日本共産党の理論的指導者だった福本和夫氏が昭和35年(1960)に著した『日本捕鯨史話』でした。
 同書で福本氏は日本捕鯨の歴史を次の五段階の発展段階の形で示しています。
〔第1段階〕弓取法による捕鯨時代、〔第2段階〕突取法による捕鯨業時代、〔第3段階〕網取法による捕鯨業時代、〔第4段階〕銛にボンブランス併用による捕鯨業時代、〔第5段階〕ノルウェー式捕鯨砲による捕鯨業時代
この福本モデルはシンプルかつ分かりやすいのですが、実際に地域で捕鯨史を研究すると、すんなり収まらない部分がある事に気付きました。例えば第一段階の弓取法による捕鯨時代については、文献や考古学のデータからは原始・古代に弓を使った捕鯨が行われた根拠は得られず、やはり銛等を用いた突取が当初から行われていたものと思われます。また第3段階の網取法による捕鯨業時代は、鯨網は鯨の動きを止める副漁具で、主漁具は銛や剣である事や、定置網による捕鯨など他に網取法と呼ぶのが相応しい漁法が存在する事を考えると、名称的に問題があります(網掛突取法と呼ぶ方が相応しい)。さらに第4段階の銛にボンブランス併用による捕鯨業時代は、該当する時期(明治中期)には網掛突取法の方がポピュラーで、ボンブランス(炸裂弾)を用いた銃殺捕鯨の操業は限定的でした。
 福本モデルの問題の根源は、時代(段階)を漁法の名称を用いて表記するスタイル自体にありました。マルクス主義の歴史観に則り発展段階として表わす以上、こうした形にする必要があった訳ですが、どたい日本列島各地で各時代に展開した多様な捕鯨の様相を、漁法の名称を付けた単線的な段階で捉える事には無理があり、最初に発展段階ありきで、その枠組みに枝葉を落として無理やり押し込めた印象は否めません。また第4段階から第5段階への移行(ノルウェー式砲殺法の国内導入)など、場所によっては断絶的に転換しており、連続性を想起する発展という捉え方では相応しくない印象もあります。
 こうした点を踏まえて私は、時代を捕鯨法の名称を付けない形にして3つの時代(初期捕鯨、古式捕鯨業、近代捕鯨業、現在はそれに管理捕鯨時代を加えた4時代)に整理し、捕鯨法の分類はそれとは別途に4つの大分類(突取、網取、銃殺、砲殺)で整理するモデルを新たに提案しました。思い返すと地域の事を紹介するために、随分と遠回りして大仕事をしなけねばならなかったと感じます。
(2019.9)