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 生月学講座 No.064「野祓い」

 生月島のかくれキリシタン信仰では、年間を通じて様々な行事が行われています。その中には「御誕生」(クリスマス)、「上がり様」(復活祭)など、教会の行事とそのまま一致するものもありますが、他に「田祈祷」「麦祈祷」「風止めの願立て」など、農業に関連した行事で、教会行事には見られないものもあります。これらの行事は、従来禁教時代に信仰が変容した結果始まったと考えられてきましたが、私は、これらの行事は中世から近世初頭にかけてのキリシタン時代、つまり宣教師がいた時代には、既に行われていたのではないかと推測しています。
 このような行事の一つに「野祓い」または「野立ち」と呼ばれる行事があります。野祓いは、基本的には集落の範囲内の山野で、湧水や川の脇、大木、大石、三叉路など、魔物、化け物が出そうな場所を祓って回る行事です。
 壱部集落では、かつて一月の「まや追いだし」、春の「六ヶ所寄り」行事の時に野祓いが行われていましたが、近年は六ヶ所寄りの時だけになっています。岳の下、射場、種子・大久保の各津元(組)が、それぞれお水瓶とオテンペンシャを持つ二人組を出して、各々決まった地点を回ってお水とオテンペンシャで祓い、和紙製で剣先十字型のオマブリを小竹の管に詰めたものと、煎った大豆とを納めて魔除けにしました。
 堺目集落では平成五年までは、正月六日に、集落から離れた山野を祓う「野立ち」と、集落近くの境を祓う「大構え」が行われていました。元は親父役、御爺役を加え、お水瓶とオテンペンシャ、オマブリを持つ三人の組複数が、各地点でキリアメマリアを唱えながらお水とオテンペンシャで祓い、和紙製の剣先十字型オマブリを納めました。最後は各組が合流し、一号池の西側の山中のムタンカシラという所に集まり、オラショを唱えました。
 元触集落では、昔から春の彼岸の入りの一〇日前頃に「野立ち」が行われており、現在も辻と小場の両津元で行われています。親父役と御爺役がそれぞれお水瓶を懐に入れて、別々の地点を祓って回りますが、その際には藁草履を履き、役中を二人引き連れて回ります。現在は祓う地点ははっきり分かるように十字の印が付いた石柱を立てていて、各地点では親父役(もしくは御爺役)がかがみ込んで特別な文句を唱えながら、お水を打ち、塩を振ります。特に元触では、溜池も回り、水面に向けて祓った後、団子を撒きます。
山田集落では従来「野立ち」が確認されていませんでしたが、近年日草のある垣内で行われていた事が分かりました。小竹を縦に割って麻紐で縛って十字型にした特殊なオマブリを作り、正月中に、島の西側と、集落近くの地域を分担して回り、オマブリを納めます。
 野立ち行事については、堺目が昔回っていた場所や、昔は行っていたという壱部の琵琶の首津元や、元触の上川垣内が回っていた場所など、まだまだ分からない所がたくさんあります。このように、一概に生月のかくれキリシタンの行事と言っても、各地区や組(津元、垣内)によってやり方にそれぞれ特徴があるため、どの組が伝承している行事についても、貴重な価値があるのです。