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 生月学講座 No.143「聖水を薬に用いる事」

生月島や平戸島西岸のかくれキリシタン信仰では、聖水(お水)は御神体として祀られたり洗礼に用いるだけでなく、魔を祓い、病気を直す力を持つと考えられていました。
壱部・堺目で行われていた「風離し」では、重病人の身体をオテンペンシャで叩き、お水瓶に入ったお水をイズッポという木の棒に付けて身体に振りかける事を繰り返します。かくれキリシタン信者の認識では、病気は体内に悪い「風」が入る事で起きると考えられていたので、オテンペンシャで悪い風を体内から祓い出し、お水で清めて風が入らないようにしたと考えられます。
お水を直接飲んで病気を直す事もありました。舘浦の遠洋まき網船の中にはお水瓶を船内に祀っている船もあり、乗組員が腹痛などを起こした時には聖水を飲ませていたそうです。『日本残酷物語』にある根獅子の信仰の記述にも、若い嫁さんが「この子もちょっとした病気はみんなお水ですぐ癒ります」と言っている言葉が掲載されています。私も、堺目のお水取りに随行して中江ノ島に渡った際に、信者の方が岩から染み出てきた聖水をコップに汲み、「これで無病息災になる」と言いながら飲んでおられるのを目撃しています。
 平戸地方では、キリシタン信仰の時代から聖水を薬として用いていた事が、フロイス神父の度島の報告から確認できます。
「 彼らは聖水に格別な信心を寄せており、この日はいっそう厳かに聖水を祝福したので、儀式が終わると皆、先を争って聖水を持って帰った。これは病に備えて聖水を遺物として保管するためである。また彼らは平戸や島々、博多、その他キリシタンのいる地方に聖水を分配した。」〔フロイス一五六四〕
しかし聖水を薬に用いる事は平戸だけに限らず、他の地方でも行われていた事が、一五五四年に山口における布教状況を記した次の報告から分かります。
「 我らの主(なるデウス)が洗礼の水を飲む人々に、数々の奇跡を起こし給うていることが、(彼らの)こうした熱意を高めている。(難産により)子が生まれない多くの女性は、水を飲むとたちまち出産し、熱を発した人もこれを飲むと回復した。或るキリシタンの男は二、三ヵ月間全身が麻痺し、彼の親戚らが習慣に従って幾度も魔術を行なったところ、それがために彼は口がきけなくなった。彼の友人である某キリシタンが会いに行き、気の毒に思ったので、我が修道院から少量の洗礼の水を彼のところへ持って行った。彼がその水飲むと、その日のうちに起き上がり、我が修道院に来た。別のキリシタンの男は、久しく以前から身体が麻痺してまったく動くことができなかったが、デウスのことを聞いて悟り、深い信心をもって聖なる洗礼の水を飲んだところ、まさにその日に、独りで他の場所へ行った。これは長い間なし得ぬことであった。」〔一五五四アルカソヴァ〕
 この記述から、聖水を薬に用いる事は、キリシタン信仰の最初期の段階から行われていて、教勢拡大の有力な手段にもなっていた事が窺えます。こんにち、生月島や平戸島西岸のかくれキリシタン信者が、病気を直すに聖水を用いるのも、禁教時代に始まった変容ではなく、キリシタン信仰の古い段階の要素が、そのまま継承・存続したものなのです。2015.6