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 生月学講座 No.130「籠手田と黒田」

 今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。播磨の土豪から羽柴(豊臣)秀吉の軍師となり、関ヶ原の戦い後、筑前五十二万石の大名に昇りつめた黒田家の話です。官兵衛こと黒田孝高(如水)とその子・長政(幼名・松寿丸)は、キリシタンに入信しています(のちに棄教)。以前紹介しましたが、戦国時代、生月島南部を支配していたキリシタン領主・籠手田安一(ドン・ゼロニモ)は、慶長4年(1599)に平戸から退去した後、長崎に一旦腰を落ち着けますが、その後、筑前に入部していた黒田長政に仕官し、船手衆として仕えています。彼が長政に仕えていた時、奇妙な命令を受けた事が、「一六〇九年度、および一六一〇年度、日本年報」の記述で確認できます。

  「博多の市から三十里離れたところに或る神に捧げられている島(沖ノ島)がある。異教徒たちはその島からつまらぬ物や価値のない物(でも)運んで来ることは著しく不敬な行為だと考えており、その掟に背く者はかならず罰を受けると言っている。そしてその島にこの地方の人が住もうとしないのはもとより、他の地方の人々からも忌避されている。さらにこの島では一年を通じてほとんど収穫がなく、そのためにこの島に住んでいる仏僧は辛うじてごくわずかの食料を入手できるだけである。こうした事情を考慮し、さらに状況が悪化しまいかと心配した仏僧は、或る時、殿にこの島の神社の中に多くの財宝や価値のあるものがあるに違いないと言った。この言葉を聞いた偶像崇拝者の殿の貪欲な心の中に欲望の火が燃え上がり、何人かの家来をその島に派遣しようとしたが、各々がその役目を嫌がった。この様子を見た殿は異教徒をその島に送りこむのは難しいと判断し、心の中でこう言った。「キリシタンは神を恐れぬという噂は本当であろうか」と。そこで〔軍勢の中で我らの教えを信奉していたために追放されてきていた〕籠手田ゼロニモを呼びよせ、彼に自分の考えを伝え、ただちに船に乗ってその島へ向かうよう命じた。この立派なキリシタンは困難をものともせず同じ信仰を持つ何人かの同士と語らって船に乗り込んだ。すると空には厚い雲がたちこめ激しい嵐が起こって一行を脅かし、海には波が逆巻いて船を危険な状態に陥れた。それにもかかわらず一行は無事島に辿り着いた。(ゼロニモは)仲間と共に船から陸に降り立つと金目の物や値打ちのありそうな物を集め、最後に偶像の神殿に行き、それを粉々に壊してしまった。こうして役目を立派に果たし終えると島を離れ、獲得した品物を持ち帰った。そして博多に着くとただちに殿のもとに行き、持参した品々を差し出した。それで彼が出かける前にゼロニモの大胆さを嘲り、一行が神から大いなる懲罰を受けると予言した人々は赤面し、それまでは偶像に対して抱いていた敬意を爾後は我らの教えに対して抱くようになった。」

 この記述から、籠手田安一は黒田長政に命じられ、現在世界遺産認定への運動が起こっている宗像の沖ノ島に、神宝を取りに行った事が分かります。命令を受けた理由が、他の家来は神罰を恐れたのに、キリシタンである安一は恐れる事が無かったというのが、興味深い所です。昭和に入ってからの発掘調査で、沖ノ島からは、古代の対外交渉によってもたらされた貴重な文物が大量に発見されています。安一がこの時持ち帰った神宝は、その後どうなったのでしょうか。2014.5