島の館トップページアクセス・駐車場


記事一覧

 生月学講座No.173 「潜伏キリシタン」の問題1

生月学講座:「潜伏キリシタン」の問題1

 長崎・熊本県下で推進されてきたキリスト教に関する世界遺産は、昨年、名称が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更されました。この名称にも入っている「潜伏キリシタン」ですが、改めて「どのようなものか」と問われた時、世界遺産の関係者でも、きちんと答えられる人は少ないのではないでしょうか。
長崎県の世界遺産推進室のHPの説明を読む限り、潜伏キリシタンは、17世紀から2世紀にわたって、禁教政策の中で独特の文化的伝統を維持した信者という事で、その下限(終焉)はカトリックへの「復帰」だとされています。
 まず17世紀初頭以前のキリシタンと潜伏キリシタンを区別する必然性について考えてみます。例えば今日まで続くかくれキリシタン信仰を奉じる信者達は、自らの信仰や信者の呼び方として「旧キリシタン」「古キリシタン」「昔キリシタン」を用いていましたが、これは再布教後のカトリックに対応した名称であり、オラショの文句等から察する限り、禁教時代には「キリシタン」と名乗った事が推察されます。禁教下、仏教や神道を受け入れる事でキリシタン信仰の継続を図った訳ですから、そう名乗るのも当然であり、宗教社会学者の野村暢清氏も、昭和63年(1988)刊行の『宗教と社会と文化』で、同じカテゴリーに対して「キリシタン」の語彙を宛てています。しかし、キリシタン信仰で認めていない他宗教・信仰の並存を行っていたり、専業宗教者(宣教師)が居ない事など、明確にキリシタン信仰と異なる点がある事から、両者は区別する必要があります。
 次に、禁教時代の信仰・信者の名称として「潜伏キリシタン」が相応しいかという点ですが、例えば田北耕也氏は昭和29年(1954)刊行の『昭和時代の潜伏キリシタン』で「潜伏キリシタン」の語彙を用いています。注意しなければならないのは、田北氏は、禁教時代から始まり、信徒復活を経て今日に至るカトリックに合流しなかった信者・信仰に「潜伏キリシタン」の語彙を宛てている事です。筆者は同様の信仰・信者に対して「かくれキリシタン」の語彙を宛てていますが、括り方については田北氏と変わらず、単に違う名称を宛てているだけの事で、「潜伏」と二文字の漢字表記にすると物理的に隠れている印象が強くなるため、より柔らかい言葉を選んでいるに過ぎません。
世界遺産で用いている「潜伏キリシタン」という名称の一番の問題は、対象を禁教(潜伏)時代に限って用いている事です。例えば宗教学者の片岡弥吉氏は、昭和42年(1967)刊行の『かくれキリシタン』で、「仏教をかくれミノとしながらキリシタンの純粋性を伝承した潜伏キリシタンは、仏教、神道、土俗宗教とキリシタンの混成的な独自の宗教となったこんにちのかくれキリシタンとは、区別して概念づけられねばならない。」と主張し、宮崎賢太郎氏も平成13年(2001)の『カクレキリシタン』で、明治6年(1873)の禁教解除を境に潜伏キリシタンとカクレキリシタンを区分しています。しかし基本的に、かくれキリシタン信仰は禁教下の信仰形態をそのまま続けたものである事から、禁教解除の前後で区分し名称が変わる必然性はありません。潜伏キリシタンの語彙はこうした点をきちんと理解して、禁教時代の、キリシタン、かくれキリシタン、復活カトリックを包括した信者の名称として、便宜的に用いるのが良いのではないかと思います。   (2017.12)