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 生月学講座No.186「伝統捕鯨サミットとIWC」

生月学講座・伝統捕鯨サミットとIWC

 昨年(平成30年)末、日本がIWC(国際捕鯨委員会)を脱退する方針を取る事が報じられました。筆者(中園)も新聞数社からコメントを求められ、様々な側面から課題を指摘しましたが、なかには紙面で要約され、一方向からの意見のように取り上げられたものもあり、残念に思いました。
 日本の脱退方針については、11月に東彼杵町で開催された全国捕鯨フォーラムの際、元水産官僚でIWC代表を務めた森下丈二氏がされた基調講演で知りました。氏が議長を務めた2018年度のIWC総会(ブラジル)で、日本は商業捕鯨の再開や決定手続きの要件緩和を提案しましたが、それが否決される一方で、商業捕鯨を不要とするブラジル提案が採決され、最早IWCでは商業捕鯨再開はおろか、現状の調査捕鯨の継続も難しいと判断され、脱退の選択肢が現実味を帯びたと話されていました。筆者はそれを聞いて、外交にありがちな丁々発止のやりとりではなく、愚直に正論の主張を行った末に結論に至ったという印象を持ちました。それで講演後、筆者がコーディネーターを務めたシンポジウムの終わりで、結論に至った経緯は理解できない訳では無いが、どこか戦前の日本の国際連盟脱退の過程を想起させる所もあって、背筋が寒く感じる所もあると印象を述べました。
 筆者がそう思ったのは、15年程前のIWCで外交の駆け引きを駆使して捕鯨賛成国を増やし、反捕鯨国の勢いをかなり押し戻した時期があった事を記憶していたからでもあります。その立役者は当時、漁場資源課長を務めていた小松正之氏でした。氏は本来、科学委員会の検討結果を尊重し、総会での決定に活かさなければならないIWCのあり方を、反捕鯨国がねじ曲げている状況を批判し、偏った動物愛護思想に拠る反捕鯨国の主張を相対化して議論を行いました。その象徴的な行動が、商業捕鯨再開を巡る激しい議論の一方でなかば可決が慣例化していた、極北民族による北極鯨に対する捕鯨の否決(2002年)でした。アメリカを含む反捕鯨国はあっけに取られましたが、小松氏は、鯨資源の管理と持続的利用というIWCの主旨からみて、資源量が少ない北極鯨を例え先住民捕鯨という名目でも埒外とする事はおかしいと主張する事によって、IWCが抱える問題を強く印象づけたのです。
 筆者が小松氏と知己を得たのは、筆者が執筆した日本捕鯨史の概説書『くじら取りの系譜』を読んでいただき、島の館の捕鯨展示を見ていただいた事がきっかけでした。その後、当時氏が構想されていた日本伝統捕鯨地域サミットの企画会合にお誘いいただき、筆者が前著で日本捕鯨史の時代区分として提示した、初期捕鯨(第2回)、古式捕鯨業(第3回)、近代捕鯨業(第4回)をテーマとする回と、問題提起(第1回)と総括(第5回)の5回で開催される事となりました。この事業には、日本の捕鯨の歴史・文化の情報発信とともに、捕鯨関係地域の連携を強める意図がありました。古式捕鯨業最大の鯨組・益冨組の本拠地だった(旧)生月町は、本来なら第3回が相応しかったのですが、近隣(田平町)に日本最古(縄文早期)の捕鯨遺跡であるつぐめの鼻遺跡などがあった事などから、敢えて第2回に立候補しました。小松氏は5回のサミットの終了を待たずに水産庁を去られる事となりましたが、サミットを通じて全国の捕鯨関係地や博物館・資料館、研究者の結びつきが出来、日本の捕鯨史研究は以後、大きく進展する事になりました。(2019.1)