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 生月学講座 No.086「聖母子像の乳房」

 最近、ひょんな事からジェンダーの論集の書評を依頼されました。ジェンダーとは「男女それぞれの性の文化的なあり方」で、要するに生物学的特徴を越えた、文化として男女を規定される部分についてです。きっかけは執筆者の一人で、朝鮮半島の乳房を露出した烈女(英雄的な女性)の絵画について論述された女性研究者・金貞我さんが、アジアの基層に存在する母性神の影響について触れた中で、生月島かくれキリシタンの乳房をはだけた聖母子像(御前様)について取り上げられたからです。

 生月島のかくれキリシタン信仰で祀られるお掛け絵(掛軸タイプの聖画)の多くは聖母子像を起源とし、乳房をはだけたものも多くあります。代表例として、もと壱部カトリック教会所蔵のお掛け絵の、立ち姿の聖母子像は、着物姿の胸をはだけて豊満な乳房を露出し、それに幼子が吸いついていますが、市川森一氏はこの絵に強い印象を受けて「乳房」という脚本を書かれ、テレビドラマや芝居として上演もされました。

 聖母子像のタイプの一つ「聖母子と二聖人」は、聖母子の下にイエズス会の創始者ロヨラとザビエルの像を配した構図で、生月島では5ケ所でお掛け絵が確認されていますが、その多くは胸をはだけています。しかしこの原画に近いと考えられる大阪・茨木市で発見されたキリシタン時代の制作である「マリア十五玄義図」の聖母は、胸をはだけていません。また生月島内でも堺目の「ロザリオの聖母像」のように、キリシタン時代に制作されたと想定されるものは、胸をはだけていません。このように見てくると、胸をはだけた聖母の姿が描かれるようになるのは、ローマ教会との結びつきが切れた禁教以降の事だと考えられるのですが、例えば旧正和6垣内の隠居御前様として残る数枚の「天使が舞う聖母子像」のお掛け絵のうち、最古と思しきものには、全体に拙い絵ですが既に乳房が描かれています。その事から、はだけた胸に乳房を描くのは禁教時代のかなり古い段階から行われていたと思われますが、恐らくは、元からあった聖画が古くなって新たに制作する「お洗濯」の際、以前の構図に乳房を描き足したのでしょう。

 但しヨーロッパでも、聖母がはだけた乳房を幼子キリストに含ませている「授乳の聖母」という構図の絵が、既に3世紀頃には存在し、ルネサンス期にもこの構図で多くの絵画が描かれていますが、トリエント公会議(1545~63)で否定されたそうです(『聖母マリアの美術』)。そうすると、生月島の信仰の中核をなす垣内・津元組織の起源であるコンフラリア(信心組)が設立されたのが1590年代以降と考えられるため、ヨーロッパの「授乳の聖母」の構図の影響は、なかったと考えた方が良いのかも知れません。

 それでは禁教期の潜伏信者は、どのような気持ちや意図ではだけた乳房を描いたのでしょうか。中野明さんの『裸はいつから恥ずかしくなったか』を読むと、江戸時代の終わり頃までの日本人は、乳房を含めた女性の裸体を、別にエロティックなものと思っていなかったそうです。また、多くのお掛け絵でごく簡単に乳房を描いている状況を見ると、単に女性である事、母である事の記号として乳房を描いただけなのかも知れませんが、遠藤周作氏は、お掛け絵の乳房をはだけた像は「乳飲み子に乳房をふくませたおっ母さんの絵」であり、信者達は自分達の母親のイメージを通して聖母マリアに愛情を持っていたのではないかと推測されています(「弱者の救い」)。